乳幼児期
生後6ヶ月で首が傾斜して動かなくなるという病気にかかりましたが
病院治療を途中で中断して、母の手当てで完治しました
学童時
9人の大家族の中で暮らしていた影響で人の感情の喜び、悲しみ、思いを敏感に感じ受け取るようになります
また
家族、親戚、知人の死が幼少期から多かったため
小学4年ころから
人はなぜ生まれてきたのか
私は何をするために生まれてきたのだろうか
人は死んだらどこへいくのか
という疑問をもつようになりました
青年期
死んでもその後の世界がある事を体感し喜びと光に包まれ魂の爆発を体験する
学校では競争を余儀なくされ
1点でも多く点をとった者が勝者
というなかで、その競争に負け
挫折を味わう
思春期
やはり感受性の強さからくる
生きづらさを抱えて
「心のスイッチを切ること」
で中学校生活から
その後の人生を過ごす
人の痛みがわかりすぎる
人の悲しみがわかりすぎる
人のモヤモヤした黒い雲がわかりすぎる
そして
その感情がその場に残っていて
影響を与えてしまうことがわかっている
その都度反応していたら
心がもたない
心のスイッチを切ることで
そういったものを切断して
自分の心を守り
目の前の
楽しいこと
現実のあれやこれやに
夢中になる事をしていきました
明るくて元気な私をこのあたりから作っていきました
成人期
海外旅行に行き
ブランド品を買い
パーティーが大好きで
軽井沢でテニス
白馬でスキー
海でスキューバダイビング
合コン
ブランドの洋服を買い纏い
静岡の呉服町のスクランブル交差点界隈で毎日うろうろ(会社が近くのオフィスだった)
本当に
バブルで派手な
鼻持ちならないOL(これも死語)でした
目に見える現実だけを謳歌する日々でした
外の世界はその時代や業界や土地、親の価値観でできている事を知る
独身時代は金融系上場会社で
女性80名余りの社員、その中でのポジション競争とミスが許されない仕事の中でストレスまみれの生活をおくる
結婚、妊娠、流産、出産、子供の突然の病気発症、
主人の家族と同居(9人)、サロン経営と
人とのつながりがテーマの前半戦を送る
壮年期
セラピストになるまでのことを書く
そんな私が
ひょんな事からセラピストになり、お客様と向き合うなかで
元々持っていた感受性が
解放され研ぎ澄まされ
幼いころには
生きづらさでしかなかったものが
お役に立てる感性になり
それでも
スピリチュアルな部分は
あまり見せてこなかったのですが
観美月にリニューアルして
私の感性全開でやっていこう!
と決めたわけなんです
人の痛みや悲しみがわかりすぎる私だからこそ
相手の心に刺さったトゲを抜くことができる
成長するなかで
外の世界はその時代や業界や土地、親の価値観でできている事を知る
現在とこれから
前身のラピスラズリでは
17年間、女性の身体とストレスに向き合ってきました
観美月では
私は私を生きる
をテーマに
あなたの輝きを失わせている
感情、思考、エネルギーの調整を行い健やかな身体と心を整えます
心と身体を整え魂からのエネルギーを繋いでいきます